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20120514












自分のためにモノを作ってきた。


絶対これからもその気持ちは消えないだろう。






会社に入って2年が経ち、


自分以外の人の為にものをつくることが増えた。








そのほとんどが企業の抱える問題を解決する為のものづくりだ。


商品を売りたいとか


企業のイメージを変えたいとか


新しいキャンペーンの告知をしたいとか


企業がかかえる問題はそういうことが大半で


その解決の先には消費者の動きや暮らしがある。










最近ボランティア活動をしはじめ、


今まで私が向き合ってきた問題というものとはちがう


『問題』に出会うことが多い。






その『問題』とは誰かの命に関わることであったり、


誰かの人生に関わることであったりする問題。








私はどこかでその『問題』をなんとなく認識していたものの、


自分には関係のないことで、興味関心のないものだった。




自分の興味は、ものづくりが大半で、


自分がもっている技術も、ものをつくることくらいだ。


そういう自分が役に立てることは


その『問題』に対して皆無だと思っていた。








ひょんなことから最近、私は一般社団法人Child Symphonyという団体に


デザイナーという役職で参加し、


代表の人をはじめとするメンバーが持っている熱い想いや


その団体が打ち出す企画を世の中に伝達する部分を手伝っている。


コミュニケーションの部分をデザインで解決するという意味では
企業相手の仕事と変わらないが、


その問題解決の先にあるものが誰かの命や人生なのである。


(会社の仕事でもクライアントによってはあるけれど。)






はっきり言って、私の役割はなくても良いと思う。


ロゴをつくりました。ポスターを作りました。


そんなことは誰かが白い紙に重要なことを書いてそこら中に貼れば良いのかもしれない。


誰かが街頭演説で必死に語れば良いのかもしれない。


この拡散社会なら伝えたいことなど
一瞬にして世界中の人に伝達することすら可能なのだ。


言ってしまえば、なくてもいい装飾の意味でのデザインだけど、


それが第三者が興味をもつキッカケになるような力があるものを作れるのなら、


私も自分のもつ技術や知識の範囲内で


誰かの命を救えたり、誰かの人生を変えられるのだと思いはじめた。








誰かの為にとか、家族や友達、恋人くらいにしか向かなかった関心が


もっと広い意味に変わってきていることが


本当に驚いた。






結局のところ私には、ものをつくることしかできない。


けど、その自分のもっている武器をつかって


誰かの命や、人生をすくえる可能性がある。








いままでこんなふうに言っている人間は


違う人種の人間だなんて思っていたのに


わたしがそういうふうに思うなんて本当にびっくりしている。
















今日、キャンプファイヤーのつながりでUSTREAMの生放送に出演しました。


クラウドファンディングについて語るというもの。


他の出演者の方の話を聞き、


帰り道、自転車を漕ぎながら


ぼんやりと、そんな新しい気持ちが頭をめぐりました。






私の中でものをつくる意味が少し変わってきている気がします。
















わたしが参加している一般社団法人Child Symphonyとは


児童養護施設や子どもの貧困問題に取り組む非営利組織の資金調達と


プロモーション活動支援を行う非営利団体です。


現在ホームページを作成中。


それまではFacebookで情報を発信していきます。


Child Symphony


http://www.facebook.com/childsymphony








キャンプファイヤーの押し花も残りあと一日。


きょうは押し花以外のお話でした。