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20130127






























立ち寄った本屋でいとうせいこうの『ボタニカル•ライフ-植物生活』を買った。


彼は庭のない都会暮らしであり


ベランダで花を育てる自身を「ベランダー」と名付けている。


ここに書かれる話はどれも共感レベルが高い。




私も何を隠そうベランダーである。


これまで押し花にする為の材料として植物を育ててきた。


そんなわたしは、真の植物愛好家とは言いがたい。


なぜなら正しい育て方もろくに知らず、花の名前もなかなか覚えられない。


からからに枯らしてしまうこともしばしばで、


ベランダの隅のミイラのような姿を横目に見ないフリまでしている。






そんなわけで我が家には「死者の土」がいくつかの鉢に盛られている。






“死者の土”というのは、彼の言葉を借りており、


死んでいった他の植物たちがその根を張っていた土のことである。


腐った茎や根が混じることで、土が肥えるのではないかと勝手に推測しているらしい。


(『何キロもする新しい土を買ってくるのは面倒だとも思っている。

      それでわざわざ“死者の土”などという名前を付けて自分をごまかしているのだ』とも記述している。)

そして私もまた全く同じように


いつか来る新入りのために「死者の土」をこねくり回している。






本を読んだ影響か、旅行中放置していた植物の世話をしようと思い立ち、


この2ヶ月程見ないフリをしていた死後硬直甚だしい枝だけが植えられた


「死者の土」候補生を手に取った私は目を疑った。


とっくに死んだと思っていた枝の根元からは


いくつもの新しい芽が出てきているではないか。



まるで病死し埋葬された母親の腹を突き破って生まれたゲゲゲの鬼太郎のようだ。


こんなに植物を育てていて心震えたことはなかったように思う。


どんな花びらの色美しさより、どんな奇形さより、


黙って、人知れず室外機の風にも負けずに新しい芽を出してやろうじゃないかという


執念深さの方がずっと魅力的である。


おかげでわたしは鉢植えの魅力に取り憑かれそうだ。


そしてわたしはこの植物をもっと大きく力強く育ててやると、固く心に誓うのだ。



しかし、しかしだ。


わたしは知らないのだ。


その新たな芽をつけたその究竟な植物の名前を、わたしは知らないのだ。